てぃーだブログ › ゆがふヨガ 沖縄

【PR】

  

Posted by TI-DA at

2019年02月27日

1カ月で8kg近く痩せた

1カ月で8kg近く痩せた

出会って結婚して9年目位?
一度も体重が減った事が無く
日に日に体重右肩上がりだった旦那

ダイエットすると言いつつ
結果を出せないから、ダイエットの事は
言わないし、私も期待すると
結果を出せない夫にガッカリするのも
嫌だから、諦めてた

先月東京で受講した、cellという名の
エネルギーワーク
私も驚きの体や心の変化が出てるのですが
日々家族にもエネルギー流してるんですが
その影響か
旦那がこの1カ月で8kg近く痩せたんです

9年体重右肩上がりのあの人が
たった1カ月で8kg減!
一体何の広告かって位
ブーッチャブーブッチャッ
タタタタッタッター



cell 受講直後、一家揃ってバラバラの
症状で寝込んだ時
旦那は3日間40度近くの高熱、4日目は
信じられない位スッキリしたといって
回復したんです

その高熱時食欲が無くなったのを機に
ファスティング熱が湧き上がり
本人曰く、苦痛は無く、楽しいだけだし
一日一食だから、その一食を最高に
自分を喜ばせる食事を考えるのも
楽しいって。

最高!

でね、夫本人にもいつも言ってた事だけど
なんか、旦那の体重も思いもエネルギーも
色々重たく感じてしまって逃げたくなって
しまう事に悩んでた
めっちゃ大好きだし、この人しか
私の旦那はいないって思ってる程
愛してるんだけど
なんか重くて…逃げてしまう

それが無くなった!
いつも旦那が迫ってきてしてたハグも
私から飛びついてハグハグしちゃうし
一緒にいると、ウキウキする
旦那をうっとり眺めてる
!!!!!!軽い!!!!!!!

自分と旦那の浄化の相乗効果もあると
思うけど、いつもどこか私も稼いで
家計を助けるとか備えるって思いが
あったんだけど
素直に、旦那が精一杯稼ぐのを応援して
今の瞬間をただ子供達とふざけて笑って
旦那に甘えて
お任せしようかって思える様になってきた
素直にそれが良い

彼を重くしてた一因は
私だったって言う事も受け入れて。
質量もエネルギーも軽くなった出来事や
なんか旦那に対して甘えたくなったとか
それらは、コントロールの域じゃなく
自然現象としてそうなった


人を変えようとコントロールする事は
出来ない。
私が変わる事で、相手を変えようとする
事もなんかズレてる。
でもなんか違う。
じゃあどーする?
をcellに少しずつ教えてもらってる日々。

今の私には、うまく言葉にできない  


Posted by ダウニー 安希 at 08:58Comments(0)

2019年02月25日

自分に正直になると、社会的残念な人っぽくなってきた

この一年半、浄化し続けて
身体反応で現れやすい私は
ずっと咳とか、鼻水が出るとか
発熱とか、頻繁にお腹下してるとか
ずっと出てる状態だった
骨も折れたし(笑)
先月は大きな浄化で、生理も2週間近く
止まらなかったり。

病院もたまに行ったけど、病気では
無いとしか医者も分からないから
適当な薬を出されるだけだし
自分でも病気じゃ無いって分かるけど
心配する夫の為に医者の診断という
安心を買いに病院に行く感じだった

伴って、これも体質なんだろう
子供達も私にすぐ影響してしまう
この一年半、特にこの半年は
子供達も色々頑張った


そして心の奥の重い蓋が開いて
グワーーーーーーっと
自然な流れの中で内面が変わって
くると共に、自分に嘘が付けない状態に
なってきたんです。
頭で自分に嘘を付かない!とかじゃなく
嘘が付けない自然現象が自分に起こってくる

今までも少なからず、自分と逸れたこと
すると、モヤモヤしたりしんどくなったり
はしてたけど、もうそれはダメだってサイン
が厳しくなってくるし(笑)


あんまりやりたくないけど
あの人好きだからが合わせようとか
世間的にやっとかないといかん気がする
とか、良い人(母、妻、友人etc)でいたい
から、気乗りしないけどやっとこうとか
そんな事って、決して悪意は無いけど
自分を滞らせてしまう

自分だけじゃなく
妥協して合わせた事や人にも
結局面倒くさい結果が起こる
妥協してやると、良い事ない(笑)
善意のつもりだけど
善意のつもりというエゴ
(嫌われたく無いとか)


最近も、社会や誰かに合わせて言動してる
って感じる事が多くあった(汗)
すると、長男が今朝鼻詰まりして
顔首周りが何かで詰まって苦しそうで
長男朝から泣き続けて
学校も仕事も休む事になった
滞り、詰まり、正直だ。。。


自分に嘘付かない、正直に生きるって
一般的、一般世間的に見たら
社会的に残念な人だと思う事が多い
私の場合ね。
社会に合わさないとか、反発したいとか
じゃなくて、自分と逸れてたら
自然現象として合わせられない
自然現象に逆らうと、おかしくなる

社会に合わせられないって
ある意味怖いけど、怖いとかって思考も
あまり無くなっていく
自然現象だから(笑)
逆らうとおかしくなるから、
逆らう気もどんどん無くなっていく

もーそれでいい  


Posted by ダウニー 安希 at 14:54Comments(0)

2019年02月21日

恐怖や妬みの対象は、ほんとはそうなりたい私だった

自分を変えるとか浄化ってさ、
なんか知らんけどなんか
誰か凄い人が変えてくれたとか
消してくれて楽々だ〜!
っていうのもあるんだろうけど
それって結局現状や原因を自分で
掴みきれて無いまま、誰かによって
取り除かれただけ
だから、また知らん内に自分で
掴んでたりすると思う

知らない内に掴んでたもの、
カルマや信念達から生まれる
痛みや苦しみを経験する事で
自分で一つづつ包み込んで
コツコツコツコツコツコツ
許したり、さよならしたりする事で
消えていくものなんだって思う
経験と痛みを感じられる事が
最高のギフトになる

いつも私の答えは変わり続けるから
これは今の考えだけど
自分が抱えてるものを
誰かが魔法のように
永遠に消し去る事は不可能だと思う。
一時的に消える事はあるとしても。
いくら凄い能力を持つ超能力者でも
他人を変える事なんてできやしない
私を変える事なんてできやしない

コツコツ加減に笑える
しかも、何が出てくるか、どんなタイミング
で、どんな過程を通じて消えてくかなんて
私という小さな意識には
想像もつかない

ただ、気付くと決めて
コツコツ自分の内を捉え続けるだけ
自分の内側には
ドラマチックなシンデレラストーリー
は、無い。出来事はそんな時もあるけど。

昨日も思いもよらないきっかけで
ここ1カ月くらい見てきた自分の内側を
試すような出来事があって
笑えた。もう笑える。
出るわ出るわ、笑うでホンマ
隠してた恐怖や隠してた妬みの対象は
ほんとはずっと望んでた私だった
ここ克服したら、どーなっちゃうよ!?

オーマイ!
スケアリー!
  


Posted by ダウニー 安希 at 13:49Comments(0)

2019年02月19日

私がマッサージをしてあげるのをやめたら、喜ばれた②

心の内観してたから、
あー、怒りがある。嫌だなー。。この人…
みたいな思いは特に無かったけど
フォーカスポイントが色々と
残念だった模様

コリにフォーカスを当てると
そこが浮き彫りになる
怒りにフォーカスを当てると
そこが浮き彫りになる

浮き彫りになったところで
小さな私という他人の自我が
入り込んで、消えろ消えろと
戦いを挑んでる状態だった様だ
しかも、自信がない状態で
こう?こう?エイヤー!みたいな状態
ちょっと嫌だよねぇ…

それをずっとやってた私
癒しというか、ヒーローぶってコリとかを
悪者にしてやっつけようとしてた
決して悪意もなく、善意でね
だから悪いとか良いじゃなくて
私が受ける側の立場でどう感じるか


セルエネルギーを使う練習してる内
もちろん楽になる意図はあるけど
自我ができる範囲の結果と
大いなる大我に委ねての結果は
別次元だって薄々気付いてきた

だって、触れずに一瞬で消えるとか
経験しちゃうと、
それまで頑張ってきた経験もあって
委ねるしかない。マイ選択肢がそこになる

私が勤めさせて頂いてるマッサージサロン
は、圧をかけたり筋肉を揉んだり?して
心地良さを感じたいと思う人が対象
だから、触れずにエネルギーワーク(笑)
とか、タッチのみ(笑)とかクレームもの
でしかない(笑)

ただ、この数日の間は
施術はお客様のお好みの圧を聞き
その希望には添うようにして
教えてもらった手技で行う事は同じだけど

「私がやる、やっつける」っていう
ヒーロー意識はやめて
「この人は大丈夫。もう楽になった」
と意図し、大丈夫で楽になった様に
動くように天に自分を委ねていく流れに
してみた

私自身がそれで大丈夫になった経験や
私自身がそれで楽になった経験があるから
大丈夫だし、楽になったって信じられる様に
なってきている

そうすると
お客様の反応が変わってきたんです
顔色の違いや、雰囲気も
施術後にまたお願いしたいとか
チップくれるとか、お褒めの言葉とか
違うんです

私がマッサージする意識をやめたら、
お客様は喜んでくれる

癒しは、やっつけて勝ち誇るヒーロー
もいて良いと思うけど
私はこれからは
大丈夫大丈夫よー、ウヘヘーイ
って、高田純次みたいな良い加減さで
自分と相手を信じて
委ねる私であろうと思う  


Posted by ダウニー 安希 at 14:05Comments(0)

2019年02月19日

私がマッサージをしてあげるのをやめたら、喜ばれた①

丁度、マッサージサロンで働き始めて丸一年
丁度、丸一年を境に退職を決めたのですが
この一年は、マッサージをひたすらに
勉強させて頂けた一年でした
シュロには感謝でいっぱい!

サロンで働き始めるきっかけは
マッサージを本業としてやっていきたいって
訳ではなく、マッサージを通して
体やエネルギーに触れさせて頂く事を
経験したかったから。
触れることで、何を感じるか
触れることで、何を思うか
これをとても大切にしていた。

もちろん、お客様に気持ち良くなって欲しい
とか、満足をしてもらえることは大前提で
私なりに一年勉強してきました

慣れない事ばかりで
これで良い?
この場所であってる?
この圧加減で良い?
次の手技はどうしよう?
とか考えながらマッサージする事が
多かった。そりゃ新米セラピストだから
当然なので、そんなひと時も楽しい

私が担当させて頂くお客様を
私が楽にして差し上げたい
私が気持ち良くして差し上げたい
って気持ちもとてもあったから
私は、どうすればお客様に満足をさせて
あげられるだろう?
って考えてマッサージをしてた

でもこの1カ月くらいで
大きく考えは変わってしまいました

セルエネルギーというエネルギーワークを
学んでエネルギーワークをしていると
触れてもないのに
何十年もお付き合いしてた、私の巻き肩や
力むとコリがちな首や肩の癖が
消えたんです。ほんの数分とか数日単位で
何十年ものしんどいやつが。
セルは、直接触れないエネルギーワーク

そのしんどいコリ改善に
ぼきぼき整骨院から鍼灸治療から始まり
激しくストレッチや柔軟するヨガから
委ねて流れに任せるヨガに変わり
エネルギーお手当治療という経緯で
徐々に楽になってたけど
まさかノータッチで瞬時に消えるとは(笑)

セルエネルギーから教わったことに
「自分がやらない」
という事が大きくあります

私が治してあげたい
私が気持ち良くしてあげたい
私が楽にしてあげたい

それは、セラピーとかに携わるなら
当然で自然な思いだと思う
そこが基本にあって良いと思う

でも、「私が」という小さな自我の範囲で
一生懸命やったら結果は
一生懸命な自我の範囲でおきる


私、マッサージの仕事始めた時
人に触れて、体の声を聞ける様になりたい
って思ってたんです
(純粋にそう思ったのと、体と対話できる
私スゲーって思いたい私がいたw)
微細さは置いといて、ざっくりと
あー、凄く抱えこんでるなとか
我慢してるなとか、神経質だなとか
普通に察する感じはある

そして私は、体の声を聞きたいと思ってた
から、そこにフォーカスが行った状態で
私がじゃあ楽にして進ぜよう状態で
マッサージをお客様にしてあげてた

ほんと、何様じゃ!!!だよね(笑)
残念過ぎる(笑)

つづきます
  


Posted by ダウニー 安希 at 13:56Comments(0)

2019年02月17日

「子供はお母さんを幸せにする為に生まれてきた」の落とし穴

子供はお母さんを幸せにする為に
あなたの元に生まれてきた

なんて、私含め子を持つ母が聞きたら
我が子を抱きしめて愛を感じちゃいそうな
言葉を見聞きすることがある

私は、これは事実だと思う
というか、言葉の言い回しは違うけど
子供や家族は特にだけど
全て自分の周りにいる人達や出来事は
自分に気付きのきっかけを与えてくれる
自分に気付き、自分を生きるという魂的な
幸せを導いてくれる存在達

それは嬉しい出来事だけじゃなく
自分の心がモヤモヤ、イライラ、ネガティヴ
を感じた時に、ヒントがある
昨日も、大きな大きな私が握りしめ
抱えてた、自分が創り出してる勘違いを
解放する出来事があったけど
やっぱりそのきっかけは
体感としては、感じたく無い不快な感情
からだった


それはそうと!!!
話を戻して
「子供はお母さんを幸せにする為に
生まれた来た」
という事実
その子が関わっていく全ての人含め
特に身近な存在であるお母さんに
お母さんさえその気になれば
常に気づきのきっかけ=お母さんが
自分らしさを取り戻し、自分として
生きていくヒント
を満載に提供してくれる存在となる

子供だけじゃなく、パートナーも
同じ。身近になればなるほど
衝突や、相手に対しての恨み辛み
執着心、期待という依存心など
自分を生きるのに妨げとなってる感情達
を見せつけてくれる
気付くと恐ろしい程、子供やパートナー
に対して、執着や依存心を持っている

ラブラブ、ハッピー♪
キャッキャ仲良しこよしな一面は
付き合って数日なカップルでも経験できる
本当の自分を隠してても
恋愛を楽しんでれば誰でも出来る
楽しいよね

でも結婚や育児という過程での醍醐味は
夫や子供を通して自分に気づき
自分らしさを取り戻していったり
さらに自分全開にして生きていく
自己回帰にあると思う
我慢してたら、心身持たずに
離婚する事になる



そして、多分多くの人が勘違いしてると
思う。私も大いに勘違いしてた。
「子供はお母さんを幸せにする為に
生まれてきた」って意味

そりゃー、子供は可愛い。
それだけでシンプルに幸せ。
でも、育児していくと、親の欲が出る
私を満足させて欲しい。
子供がああなれば私は幸せ。
子供の為に…って言葉は裏を返せば
私のエゴの為に…だったりする
そんな立派な子供を育てた私は凄い。
とかとか
そういう親の欲が満たされると
エゴという満足感が満たされる

「この子がいて、私は幸せだわ」
エゴを満たしてくれる存在となった子供
は、そしてエゴを子供に満たしてもらい
たい親は、カルマをつみ
次の世代、その次の世代へとカルマを
バトンの様に渡していく

何よりも、親のその想いは
その子らしい生き方の重荷となり
足枷となる


子供はお母さんのエゴを満たす為に
生まれたんじゃ無いよ!
でも、お母さんが望めば
子供はお母さんのエゴを満たそうと
頑張って生きていくだろう

自分はどう生きたい?
親としてどう生きたい?

子供は、あるがままを保護者に
観てもらうだけで良いのかもしれない
そうかそうか、って観ていくのが親
親は、子供のあるがままを
受け入れられない自分を認め、自分の
その部分と向き合っていく
それが自分のあるがままを受け入れる
ある意味修行みたいな過程がある
お母さんが自分を受け入れられる様に
なると、子供であれ他人であれ
そのままを受け入れられるようになる

もれなく私もまだまだ修行中
ふと自分のエゴを満たす事に子供を
利用しようとしてる事に気付く事も
まだまだある
でも、気付こうとしてる
これがすごく大切
気付こうとしてれば気付く事が出来る

育児もやっぱり
自分を観察する事なんだと思う
  


Posted by ダウニー 安希 at 06:34Comments(0)

2019年02月01日

「助けたい」という想いに付きまとう苦しみ

自分の奥にある声を聞く事を続けてたら
今世のもの以外の記憶や、直接的に自分
が発した以外の想念なんかが出てきたり
する

そういった、深いところにある
ある意味意味不明だけど
何故か反応する様な思いは
考えて出てくるものでもなく
私は運転中にふっと湧いてくる事が多い

つい最近の事だけど、運転中

「私は地球や人類を助けたかった」

って湧いてきた
今まで私がやってた事や
自分で向き合ってきた信念達が
ばーーーっと繋がった

で、すぐ手放そうと勝手にスイッチが
入ったと同時に消えてったと同時に

「楽しい地球を生きる」

って湧いてきて、運転中にも関わらず
号泣、嗚咽。理屈はいらん。
魂の声は、理屈や思考じゃなくて
ただ、私の中で知ってる様な
そうだったよね!!そうそう!!
って思い出す感じ

その出来事がある前日まで
東京で浜端先生という方の講座を
受けたんだけど
その先生が意図していたエネルギーには
人類がガハガハ笑ってる想いがある
(うまく表現できないけど)
スイッチ切り替えのきっかけを与えて
もらったとしか思えない


それはそうと
「何かや誰かを助けたいとか救いたい」
って想いを持ってた事は素晴らしいと
思います

私がこの想いを持ったきっかけは
生まれる前の遠い昔っぽいけど
今世の今まで、この想いがあって
素晴らしいだけじゃなく
沢山の苦しみも味わいました

助けたい=困ってる人がいる
という前提に全てが転換される
助ける=ok、助からない=ダメ
とか、二極的思考、ジャッジメント
助けたい=正義のヒーローとすれば
悪がある。
それは人に関わらず、自分の痛みとか
コリとか、辛いと感じる出来事とか。

ほんとは痛みも辛さもコリも
悪でも無く、サインとか、防衛機能とか
なのに。

いつも何かを改善しなきゃと
現状に満足でききれず苦しくなる

何より、助ける人がいないと
助けたいという願いは叶わないのだから
自分一人では満たせない

そりゃしんどいよねー
私は、きつかった。苦しくなる事が多かった
なんせ無意識だから
思考では、楽しく生きると決めてるのに

多分続く  


Posted by ダウニー 安希 at 08:58Comments(0)

2019年01月31日

愛すべき、素晴らしき、残念過ぎる人間

出来なくても大丈夫な事を
やらないといけない気がして
一生懸命自分でやろうとしたり
一生懸命誰かにやらせようとしたり
大丈夫なのに大丈夫じゃないと信じ込み
大丈夫じゃない現実を作り上げたり
そのまんまが素敵なのに
世間が作り上げた素晴らしい人や
誰かから素晴らしいと思われる人に
なろうと自分のエネルギーを費やしたり
そんな事して一喜一憂しているのが
私含めた人間だと思う

たとえ
出来ちゃっても
世間的に素晴らしい人になっても
大丈夫なくらい、人脈やお金に恵まれても
世界中に愛されても
人間である以上、苦しみがつきまとう

人間ゲーム in 地球

私の心を日々揺さぶり輝きをくれる
クイーンのフレディは
世界中から愛されて
飛び抜けた才能を持ち、認められて
人脈やお金も溢れる程あったのに
常に苦しみを抱え続けていた
それがあの音楽を私達に与えてくれた
PVもどれもサイコーだぜ!

もう、人間ってそうなんだって
とりあえず苦しもうとするんだって
自分を通して分かったら
笑える
もー何してたんだ?私(笑)
ざんねーん!私(笑)

どうしようもない
ほんと、人間ってどうしようもない
愛すべき、素晴らしき、残念な生きもの

今、私はこんな文章を書いて
私は何の偉業もなし得てないのに
熱出して仕事休んで布団に転がって
偉そうにこんな事書いてんじゃねーよ
でしゃばんじゃねーよ
って自分に向けた自分の声が聞こえた(笑)
さっさ消したけどさ(笑)

エゴを持つ人間て
そんな事を日常普通に感じる様な
簡単に自分を傷つけようとしちゃう
どうしようもないヤツでしようがない
とっとと認めた方が断然楽

でも、だから沢山のドラマが生まれる
素晴らしい心を揺さぶる様な
表現やアートが生まれる

だから別にいいけど
もういい加減、ドラマ仕立てな人生や
人間ゲームに自分で振り回されて
あるものを無いと思い込んで
苦しみ続けるのは
私は終わりにしようって決めた

私は全部ある
目隠し人間ゲームを降りるには
ゲームを降りると決める。
自分で何重にも心や体や魂に巻き付けた
目隠しに気付いていく。そして脱ぐ。  


Posted by ダウニー 安希 at 16:02Comments(0)

2019年01月31日

育児中や子供の看病中の旦那からの裏切られ感

子供達の高熱が落ち着いたら
またぶり返したり
次はあの子が発熱、私が発熱やら
一家で煮沸消毒の日々を過ごしてます

今回は夫は生き延びてサポートして
くれてとても助けられてるけど
よくあったパターンで
病気が続いてる最中や
ようやく全部終わった〜って時に
旦那が発熱とか体調不良起こすと
申し訳無いけど、看病モードゼロで
逆に呪いの様な(笑)苛立ちすら感じたりする
自分が寝不足+長期の看病疲れMAXだと
使えない奴は出てけー!!
とすら脳裏をよぎる

小さな弱い者は守りたい本能で
必死になるけど
ここぞという時に守って欲しい存在が
支えて欲しい存在が
ここぞという時にダメになると
期待が裏切られた感や
絶望感に苛まれて
使えないから排除したい感を
覚えてしまう、人間の「期待」というエゴ
期待の反対は、裏切り

育児中のお母さんは、
旦那さんに期待がある分
裏切りからの絶望感は半端なく
ありますよね(笑)

こんな時は、自分で拗ねてる自分を
精一杯愛を持って
慰めてあげる
私、助けて欲しかったんだよね〜
私、助けてもらえなくて、裏切られたって
感じて辛いね〜
私は裏切られた相手を、辛くて見たくもない
んだね〜


事実は一切裏切りとか無い
正論で言えば、そんな事間違ってる!
ってなるかもしれない

けど、心は正論なんて存在しない
正論や常識は一切不要
※発言や行動する際は考える事も大事

心だけの世界は
ただ浮かんできた事があるだけ
ただ心から発生しただけ
なんでもありだから、良し悪しもない
発生した事実を、認めて受け入れる
慰めが必要だったら
愛情MAXで、そんな思いを握ってる
私の頭撫で撫でしてあげる

そしてしゃしゃーっと手放す
そうすると自然と
その状況でどうすれば良いか
見えてくる

人間だもの
期待はするさ〜
だから裏切られ感は付き物さ〜
だからさっさと認めて手放して
自分がやる事シンプルに
やってけると良いよね〜

なんか知らんけど、歌ってる風で(笑)  


Posted by ダウニー 安希 at 12:49Comments(0)

2019年01月30日

この現実は誰が作り出してるかを観察し続ける

大きな宇宙に身を委ねる前に
私は自分を知る感覚が
身に付いてる事も
大切な事と思うのです

ちょっと前に流行った言葉で言うと
「他人軸」だったのを 「自分軸」にする
というか

私なりに具体的に言えば

上司からイジワルされた
旦那が気が効かなくてムカつく
旦那が浮気した
彼氏が構ってくれない
子供が言う事聞かない
会社がブラックでキツイ

とかって思うのは、他人軸
相手が主語で被害者意識で成り立っている

私はイジワルされて惨めだ
私は気を効かせてもらえない
私は浮気される
私は構って欲しい(私は寂しい)
私は話を聞いてもらえない
私はコントロールしたい
私はキツくても頑張らないと価値がない

とか、「私は」主語で被害者意識を自覚し
捉えるのが自分軸
そこに自分でない誰かを
巻き込む必要はない
自分が創り出している現実でしかなく
そこに現実を俯瞰して観て納得していく

24時間、365日、普通の日常を
「私は」を出来るだけ意識していく


物事は、自分以外の想念や、過去世や
ご先祖さまのアレコレとか
地球のエネルギーとか
もう私という小さな存在では
どうしようもない程の原因が
絡まり合っている

実は自分だけでどうにも出来ない事ばかり
だったりもするんだけど
自分が他人に向け発したエネルギーは
同様に自分に向かっている
そこを日々自覚しておけば
自覚し続けていれば
他人にエネルギーの矛先を向けるのを
やめる方向に向かう

宇宙に委ねるって
自分の無力さを自覚し
エゴが望む素晴らしさもないし
しょうもない自我を丸っと受け入れ
そんな自分でも大丈夫やん
て思えると、委ねるって道が
自然と開けてくるのかもしれない  


Posted by ダウニー 安希 at 10:03Comments(0)

2019年01月29日

自我という小さな私と真我という大きな私

前回の記事を書いた後
またまた目まぐるしくエネルギーが変化し
思考の域を超えて
小さな私が大きな私と繋がってきている

今発熱で寝てますが、身体はキツイのに
心は軽くて軽くて

価値観はあっていいと思うけど
握りしめるのは、あまりに勿体無い
自分という広大な存在を縛ってしまう

もう、私が何とかしようとか
してあげようとか、しなきゃとか
知らなきゃとか、伝えなきゃとか
大切な人の為に何かしてあげようとか
お金稼ぐとか成功の為に計画するとか

身体の発してるサインを私が
分かろうとか
心の感じてる事を全部私が分かって
あげようとか

もうそういう事も
どうでも良くなった

だって
「私」だなんてあまりにちっぽけな存在
そんなちっぽけな「私」が何か頑張って
なし得ようとしても
いつでも広大な私は存在するのだから
広大な私にはちっぽけでしかない

広大な私にお任せすれば
勝手に、小さな私が知りたくて
たまらなかった事も自然と分かってたり
小さな私がどうにかしたくて
何十年ももがき苦しんでた事も
当たり前に様に終わってたり

私を知りたい
という小さな私の思いも
任せてりゃ
小さな私が理解出来ない領域で
なんか私が分かっちゃってる

私が理解するのに
頭で理解とか、しないでもう大丈夫
理論に沿って分かりやすく思考しないでも
大丈夫

もうほんと大丈夫なんやね!!
まるっと委ねて生きて大丈夫  


Posted by ダウニー 安希 at 13:47Comments(0)

2019年01月25日

心の不感症

普通はつまらないって思ってた
平凡は嫌だって思ってた
地味な生き方つまらないって思ってた

刺激が好きだった
無印の雰囲気とか違和感あった(笑)
それで良いと思ってた

でもね〜
自分が好きだった体に関しては
敏感で、ヨガも微細な動きの感覚が
心地良かったし
雑なグループレッスンとか違和感だったし
マッサージ行くのも、エネルギーワーク系
の極低刺激なタッチとか触らない位の方が
心地良かったし
雑な強揉みとか最悪な気分になる

身体の感覚は大好きな分野だったから
微細に感知もそれなりにしてた

心とかはほったらかしに近かったけど
この一年半くらいじっくりと向き合って
心を愛して行くと
身体でしか感じてなかった微細な変化や
違いや、感じてる事が分かるように
なってきた

すると、普通とか、地味とか平凡とか
毛嫌いしてた部分も愛しさのコアに
なってた

思春期は頻繁にときめいたり
テレビで笑ったり
音楽で泣いたり、感動してたのに
大人になってからは
心が不感症気味になってたって気付いた

心が感覚を取り戻すと
音楽で泣ける
(クイーンだけで丸1カ月毎日泣いてるw)
イケメンにときめく(笑)旦那もね(笑)
街中の学生たちの本物の笑顔に泣ける
家で子供たちとゲラゲラ笑ってる
大嫌いだった子供のゲームすら
好きなキャラができてキャッキャしたり
(スト2のケンが、超イケメンなってる!)
太陽とか海に話しかけて泣いたり
人の優しさや美しさにしみじみ感謝したり

ほんとに日々味わい深さが楽しい

逆に作り笑いや、本音を隠してる自分や
周りの人達にも敏感に感じ取る様になり
切なさを感じる時期もあった
もうそういうのもやめたけど。

ある方の言葉を借りると
感性が開いてくるのは

料理で言うと
添加物で味付けした味の濃いラーメン
優しい味のおでん出汁
昆布の微細な出汁
どの味がお好みか
みたいに段階がある

マッサージでは
肘を使ったゴリゴリ最強圧のマッサージ
手でソフトタッチで摩る圧のマッサージ
遠隔でエネルギー送るだけのマッサージ
どの感覚がお好みか
みたいな段階がある

みたいに、
どの位、繊細な感覚をキャッチするかで
お好みが変わる
不感症気味になると
濃くなければ、強くなければ
刺激がなければ
不足感を感じる

生き方も同じで
私は心や感覚を感じる事を放棄して
普通とか平凡とか
味気ないって思ってた
昆布出汁や、遠隔エネルギーが
意味わからんって言ってる感じ

そーじゃないんだね
今ある普通の日常こそ、味わい深い
最高に心地いいんだねー  


Posted by ダウニー 安希 at 14:48Comments(0)

2019年01月25日

苦しくなる思考パターンが「ほんま大丈夫」になる

あれよあれよと
思い込みや信念、積み上げてきた
掴んだままだった、苦しみを
生み出してたエネルギーが
溢れ出しては解放する日々が続き

ふと
あれ????
私、あんな事考えてたんだ…
なんでよー??
なんであんな執着してたんだ…
軽い記憶喪失のように
つい生まれてきて、半年位まで当然と
無意識にやってた思考パターンが
他人事の様に、
あんなに悩んでたのに
軽く笑えるくらい
気に留まらない

ちょっと前まで
綺麗事に聞こえてた
言葉や、意味が、真実になる


「どっちでも大丈夫」
「私は大丈夫」
「それでも大丈夫」


自分というか、宇宙の流れを信じられる
様になってくると
ほんまに大丈夫やって思えてくる
今まで知ってた「大丈夫」の世界観が
また違う大丈夫

嫌だって思っても
やりたくないと思っても
出来なくても
何もしなくても
嫌われても
認められなくても
素晴らしくなくても
嫉妬しても
ダメだと思っても

それでも全然大丈夫
当然そう思うのが人間やし
結局大丈夫でしかない
流れは大丈夫でしかない

ほんとさ
自分を知って行くと繋がるところは
宇宙とか神とかって言われる
エネルギーの源
自分を知ってなくても繋がってるけど
自分を知れば知るほど
そこを実感体感できるんやね

理屈や理論はいっぱいはいらん
だって実感体感は「当たり前な感じ」
キラキラ派手さも無い普通感
でもなんかとてもシンプルで味わい深い

これからは
気の向くまま、お気楽に
成り行き信じて生きてこう
  


Posted by ダウニー 安希 at 14:05Comments(0)

2019年01月13日

私達は、ほんまに自分の事を10%位しか知らない

私達は、ほんまに自分の事を10%位しか知らない

ちょっと心理学とか精神的な事を学ぶと
顕在意識とか潜在意識の事を知り
私達が通常認識出来ている顕在意識という
領域は、脳みそが持つ意識という情報の内
10%(文献によって異なる)位しかない
って見聞きします

脳みそ・意識の9割は認識出来てない
潜在意識とか超意識とか
なんか色んな表現される領域がある

そういう知識は知ってたし
潜在意識に携わるワークも受けたり
講座を開催したりもしていました

最近体感してるのが
そういう事を知らず、当たり前という
思い込みの中で普通に生きてた時は
10%しか認識してなく
つまり、自分の事を10%位しか
認識していなかったという事

信じられないよね
自我が芽生えて30年以上生きていて
そこそこ感受性が豊かな方だと思い込み
自分の事を知ってるつもりでいた

ぜんっぜん
私を分かっていなかった
今は、分かっていない事を分かってる
だからあまりに自分が面白い



知らない
って言うと、知らない単語を知らない
みたいな、存在すら知らないっていう事
もあるけど、
当然の様に知ってる事すら
全然分かってないって事が
大体なんです。私の場合

今日も、当たり前の様に
子供のある事を心配してる時
その出来事で心配してる事を知ってた
のに、突然頭がクリアになって

あ、私心配してたのか…

って今までの知ってるとは違う、
気付きという領域の理解が来たりする
そのスイッチが入ると
気付きの領域で心配している私を
全身全霊で受け止めたくて
何かしてる手を止めてでも
自分に向き合いたくなる

素晴らしい私の宝のカケラと
再会する最高な瞬間
大袈裟でも無い

そして改めて私は自分をもっと
知って愛したくなる
30年以上置き去りだった、9割の私

ほんまに大袈裟じゃないよ!
すごいんやでー、みんな。  


Posted by ダウニー 安希 at 19:56Comments(0)

2019年01月11日

感情のブロックとか感情解放とかの勘違い

感情のブロックとか感情解放とかの勘違い

私はこういった言葉をまるっきり
勘違いしていた

どうも、本質とか、魂で生きるとかって
言葉を見聞きすると
キラキラと輝いている事を
思い描いてしまう癖があった

だから、感情のブロックとは
ドス黒いブロックがキラキラな自分を
押さえつけてるイメージだったし
感情解放というと、自分が抱えてる
ドス黒い感情をどこか自分以外のどこか
に解き放って消してしまうイメージだった

だから時間がかかった
自分が勝手に作ったイメージにとらわれて。
そんだけ、認める事が怖かったのもある。
どこまでも、ドス黒い自分を悪者にして
それを消し去る事が、本質っぽいイメージ
があった。無意識だけど。

今私が思う感情のブロックは
「そう感じてはいけない」
という、ドス黒い感情を抑えてる自分が
抑制してる部分
「べき」とか「べきではない」とか
ジャッジと言われてる部分が大きい

感情解放は
ドス黒い自分をどこか遠くに消し去る
のではなく
ドス黒い自分を抑えてたブロックを外し
自分の中に解き放つ事。受け入れる事



大袈裟な例で言えば
もう死にたいと感じた時
「いやいや、私なんてまだマシな方だし
こんな事位で死にたいなんて
思ったらダメでしょ!」
って、その思いを抑制するのがブロック。

感情解放は
「そっか、私は死にたいと感じたんだね。
良いよ、そう感じて良いよ。
死にたいと感じる私も、愛しい私の一部
として受け入れます。」
って感じになるのが、感情解放
自分の中に、ありのままの思いを解放させて
あげる事

だから最初は怖いです
だって、認めてその思いを許すと
そうなる、又はそうしないといけない気に
なってしまってたから。

死にたいと感じた事を受け入れる=死ぬ
愛する人への嫌な感情を認める=嫌いになる
という極端な思い込み
思った事が叶う=願望実現だから
ネガティブ な思いも実現する気になる

結局それは自分という愛の存在を
信じられないという
自己信頼がない事からの思考だった

だからネガティブをブロックで抑え付けて
結局、自分を信頼できず
怯えて小さくなってる自分の中に
とどめて流れを止めてたんだけど、
それがどんどんどんどん
深く深く積み重なっていく

実際は
全然大丈夫
しかも、不思議な事に
ネガティブ感情で苦しい思いをしてたのが
ネガティブ感情は波の立たない静けさを
取り戻すのです

だから、勝手にネガティブって概念が消える
無理矢理ポジティブに考えるのも
実際苦しいし、それもブロックだったり
するけど
ただ静けさが訪れると
キラキラとか、ポジティブとかでも無く
どっちでも無い普通な感じが訪れる
  


Posted by ダウニー 安希 at 15:21Comments(0)日常

2019年01月08日

私という宇宙空間②

もうさ、そんなちっさい縛り、
あっても良いけど、縛りつくのは
もー終わりにしよう

ただ正直に感じたことは
自分が作り上げた惑星であって
自分という無限に広がる宇宙空間に
放り込んで上げたらいい

ごちゃごちゃに散乱して何が何だか
分からないお部屋は、ごみと必要な物に
分類してごみは捨てるのがいいけど

ごちゃごちゃに散乱して何が何だか
分からない、心が生み出した想い達は、
ごみなど一つもなく
ただ、一つ一つを拾い集めて
自分という広大な空間に返していく

たとえどーんなに汚く見えても
その汚くて、向き合うと飲み込まれて
しまいそうな感情や想いも
広大に無限に広がる自分空間の中の一つ




無限に広がる宇宙の一つの惑星
ただそこに存在しただけ。


ただ、ハートで感じたこと全てを
自分という宇宙空間に放り込んで行く
そしたら宇宙空間とか最初は
意味わからんかもしれんし
あまりに簡単な事なのに
ありのまま認めるとか
純粋に愛を持って自分に返すって事が
ようやく出来てくるのに
私は丸一年はかかったし

嫌な感情とか思い込みとか、認めたくない
頑なな自分もいっぱい出てくると思うけど
私はそんな見たくない惑星の存在で
いっぱい無意識が抵抗したけど
もう認めるしかなくて。
そしたらほんとに宇宙空間みえてくる

インナーチャイルドとか、副人格とか
過去世とか、昔の宇宙での記憶とか
そういった、スピとか夢物語でしか
出てきそうに無い存在達もいっぱい
出てくるけど、

なんかそういう不思議っぽい存在って
カッコよく見えたり聞こえたりするやん?
私◯○って宇宙人と関係してる!とか、
○◯っていう古代の凄い人
と過去関係してた、とか。
そういうカッコよさそうとか
ホントどうでも良くて
ただ、その事実によって
私という宇宙空間には、どんな惑星があるか
を知る貴重な財源になっていくだけでいい

そういう
善悪、ポジネガ、凄い凄くない
関係無く、自分を認めて愛を持って
自分という宇宙空間に受け入れていく
これこそ、自分を愛することだなぁと
思う
  


Posted by ダウニー 安希 at 12:58Comments(0)

2019年01月08日

私という宇宙空間①

私という宇宙空間①

昨年一年は、崩壊の一年だった
色々崩壊しつつ、11月頃からは
自分という宇宙空間を体感していく

価値観
思考癖
常識
自分像
善悪・ポジティブネガティブ 二極的世界観
そして、理想の私
などなどの崩壊

自然界で言ったら、365日台風みたいな。
でも、ほんと内的なものなので
表面的現実はいたって普通。というより
活動、行動は停止状態
目の前にある、家事育児やセラピスト
の仕事をコツコツと覚える1年

特に11月頃からは思考による大きな
意識による、意識を抑える壁や堤防が
崩壊してきて
無意識に押さえつけられていた感情など
深いところから一気に流れ出した感覚
思考が停止して、感覚しかない様な、
人間じゃなくて動物みたいになってた

よくスピリチュアルとか哲学で
私が宇宙 宇宙が私
とかって見聞きするけど
価値観や思考癖、常識、二極的世界観が
崩壊して行くにつれ
内観するときのビジョンは
自分は宇宙であるビジョン
宇宙というか、空間?場所?




たとえばポジティブネガティブって
誰でもあると思うんだけど
ポジティブが良し、ネガティブがダメ
だから排除しなきゃって
思いがちというか、私はそこに
つまづいてたんだけど

ポジティブっていう枠組みは自分が
作り出した惑星みたいなもので
ネガティブっていう枠組みも自分が
作り出した惑星みたいなもので

思考であれ言動であれ、全部が自分が
生み出した惑星
ポジティブ惑星を作り上げて自分を
そこに縛り付けておくと
ポジティブ惑星に縛りついている状態で
ネガティブ惑星からの侵略に怯えている状態
でもある。
そして分離している
それは、私は惑星そのものになっていて
それらを包括する空間ではない状態

宇宙空間と惑星は同時にある

  


Posted by ダウニー 安希 at 12:44Comments(0)

2018年11月25日

温泉湧き出し、埋蔵金やダイヤが発掘されるハート

心にかぶせてた重厚な蓋が開いて来たと同時に
蓋の奥に隠れてた感情や雄叫びが
溢れ、その下に隠れてたものが顔を出して
来るという、貴重な体験をする日々です

幼い頃に泣きたいけど泣けなかった
泣いても振り向いてもらえなかった
悲しみに明け暮れ、怒り狂ってる私と
一歩ずつ和解の道を歩いていると
幼い頃の、ピュアな私が、私の事を
取り戻す様にピュアな声を
少しずつ上げる。
それらこそが、私が出会いたくて
探し続けてた、ここにしか無い
純粋な私なんです

記憶・頭の中では終わったこと
ハート・心の中では終わってないこと


純粋な私は
子供じみていて、子供そのものの言葉
立派な人生歩んでいこうと必死だった自分は
一体何だったんだろ…
って、「ちーん」
と音が響き渡る様な、ただシンプルで単純

そこに色々装飾品をつけ過ぎて
自分を傷付けてしまったり
自我が助長してしまっていたり
とにかく。。

「そ…そうだったのか…」
「ちーん」

って感じの力の抜け具合(笑)

そんなシンプル単純で子供じみた私の声は
全身から無限に愛が湧き出て
無限に自分の価値がハートから発掘される様
生まれた赤ちゃんを初めて抱きしめる様な
そんな威力がある

まだまだ蓋は開き切ってないと思うし
まだまだ私のピュアな財宝達は眠ってる
かもしれない

でも言えるのは
だからといって何も変わらない
自分が知っている私のまま
他人からうつる私のまま
今までとの違いは、
誰がなんと言おうと
胸を張ってこれからは
その自分を生きて行く

その自分こそが無限に湧き出る温泉で
宇宙誕生後に蓄えられ続けてきた埋蔵金で
自然の中で輝くダイヤなんだって
分かりつつある


自分の感情を観察する作業で
大きな重厚な蓋が開きだしたのは
丸一年かかった
それが遅いか早いかもどうでもいいけど
なかなか遠回りはしている

でも、それこそも私そのもの
ピュアな私の宝物は「探求したい!」と
声を上げているから、
遠回りしてでも探求させてあげたんだね
と、そんな自分を愛おしくハグしてあげたい。

無限の温泉は、宇宙誕生後に蓄え続けられてた
埋蔵金、ダイヤは
どんな有名な哲学書や、ヒーラーや預言者の言葉
にも見つけられなくて(ヒントはもらえるけど)
自分で自分の感情をみる。
自分で自分の思考や行動を掘り下げ、自覚していく。
の先にしか見つけられないと思うのです
自分のハートにある。

どこまで蓋が開くんだろう
どんな私という財宝と出会えるんだろう
子供の自分と大人の自分と手を繋いで
楽しんでいこうと思う


  


Posted by ダウニー 安希 at 13:36Comments(0)日常

2018年11月11日

「自分を知る」の苦しみの根源は「私の崩壊」

自分を知るという
文字にするとあまりにシンプルで
自分という存在の認識のある人なら
2歳位から死ぬまで
当たり前に知ってるつもりの事で
もがき苦しむ一年

クソッタレなゲスで見たくも認めたくない
闇の世界に潜む自分を100パーセント
認め、自覚していく苦しみは
自分や、社会や環境、肉親すらも
否定したくなる錯覚からの苦しさは
当然あるけど
意識的に自覚できるそういった苦しみ
より深い部分で起こってる、苦しみの根本


それが今の私で自覚するものは
「アイデンティティ(自我)の崩壊への恐怖」
と、
「理想や目指す何かが全部崩壊する恐怖」


自分が無くなる様に錯覚するとも
今までの自分の全てを否定する様な
間違ってた様に錯覚する「虚しさ」
ある意味、死に近い様な恐怖。
「私」が死ぬ様な錯覚

このアイデンティティを崩壊する
とてつもない無意識の恐怖を乗り越える
のにお役立ちだったのが、
心の仕組みや脳の仕組みを知る感覚だった



恐怖を感じてしまうのは
当たり前だし、それが必要な機能で
その事実を知らない様に、見ない様に
通常設定されてるのが生きていくのに当然
だって理屈が分かる事で
ただただ、ホッとした

全部無意識で行なってるんだけど(笑)

でも
今までの自分を全部否定する様な
全てが無駄だった様な虚無感も
何も無くなるんじゃないかという
恐怖も
結局脳みその作り出す妄想でしかなく
勝手に作り出すアイデンティティとか
思い込みや理想がゼロに近づいてくと
何か残るというと


素直な私
私にとって、当たり前なシンプルな私


まだまだクリアしてない事が多く
ようやくこれからって所だけど
もうここまで来たら別に大丈夫
ほんと、大丈夫だ
クリアしてるとかしてないなんて
後は流れに乗ってれば大丈夫
それだけだとしか思えない  


Posted by ダウニー 安希 at 22:01Comments(0)

2018年11月11日

「自分を知れば永遠に幸せでいる」を知っての一年

「自分を知れば、永遠に幸せでいられる」
「自分を知れば、苦しみの無い世界になる」
「自分を知れば、悟れる」
「自分を知れば、神や宇宙と一体になる」

そんな甘い香りに誘われて
きっかけはセルフノウイング、ゼロリセット
という中川さんが主催する講座に参加した
のが一年ほど前

講座内容は、もちろん色濃いお話しで
興味のそそられるものだったけど
結局伝えたい事は

「自分の感情を、ジャッジせず
ただただ観察してね!」
って事。

お話しが壮大だったのと
講座に参加するきっかけを作ってくれた
方や、様々なサポートのおかげで

「ただ自分の感情を観察して書き出す」
というノートワークを中心とする習慣が
始まりました

と同時に、無意識の奥の奥に隠されてた
こんなの嫌だと見て見ぬ振りしてた
悪者にしてた感情や、
個人的・家庭環境・社会環境・国の環境を
背景に生まれた
無意識の思い込み・信念や、当然としていた
勘違いルールを目の当たりにする日々が
始まりました



以下が、私が
「自分を知れば永遠に幸せ」に対する
思ってた印象

散々自分の事なんて分かってきてるし
感情を観察するなんて簡単〜
私はそこそこ順風満帆な人生だし
強運の持ち主だし、引き寄せ上手だし(笑)
そもそも特に苦しみなんて無いしね〜
ヨガが習慣で、瞑想もやってるし
定期的にエネルギーの調整してもらってるし

それ位出来る、知ってる、余裕だな。

って思ってた。

そんな思考回路も、ツッコミ所満載な
結局奥にある恐れや
見たくない自分を見ない様に
ナチュラルフェイクだった訳で
丸一年ちょい、フェイクの自分を濾過する
作業ばかりで、余裕どころか
コテンパンに悩みもがいて
期待してた
「自分を知れば永遠に幸せ」
と真逆の方向へと向かう感覚

自分なんて知らない方が楽なんじゃ?
なんでこんな事を私に進めたんだ…
と何かのせいにしたり、自分を責めるの
連続だった

でも不思議と自分を知りたいと強く願って
いると不思議な出会いや出来事は続く
色んな事を、学ぶ一年だった。
知識や技術とも違うし、逆にお勉強的知識は
感じる事を遠ざける材料にもなる時期だった

「感じる」メインに
心の仕組み、脳回路の仕組みを
学ぶ一年でした。

同時に、宇宙エネルギーとか潜在意識
とかそういう事を、外からの情報ではなく
特別な凄いものじゃなくて
普通な存在って事を内側が自然に繋がって
いく感じ
反応し、反応に反応し、さらにそこで反応し
そんな脳回路の癖と感情の放出を
肉体を持って、現実映像で体験する


丸一年続けた事で
あの時中川さんが言ってた事や
サポート手を差し伸べてくれたあの人や
あの人達の言葉が
やっと分かってきた。

続く。
  


Posted by ダウニー 安希 at 19:32Comments(0)