私の中の天才と欠落感を感じると、普通な天才がいた

ダウニー 安希

2018年11月05日 10:57

この一年ちょい、全然やる気が起こらず
ダラけることの幸福感を噛み締められる
様になってきた
(それまでは、何もしない事や何も出来ない
自分に対して、強く罪悪感があった)

それまでは早朝5時には目覚めて
家事育児仕事が始まる前に
ヨガだ瞑想だとする事が習慣で
習慣として行う事は、自分の根本に
何があるかによって
習慣から離れることに、罪悪感を持ち
苦しくなる事がある

私の場合

根本的な自己否定感(無価値)

習慣は続けなければいけない
(無意識な思い込み)

私はヨガでお金を稼いだというプライド
(それが出来ないと自己価値が下がる
という思い込み)

ヨガをしない私は欠落した人
(不足感からの思い込み)

筋力、柔軟性が無いと不健康になる
(無意識な思い込み)

とかとか、てんこ盛りに色々あった訳で
朝のヨガの習慣はもちろん好きでやってた
けど、やりたい気持ちが起こらず
やらない時期に、上記の様に様々な
思いを、罪悪感を伴って
見つける事が出来ました

ほんと、今思えば、朝ヨガ習慣なんて


どーでもいいー(笑)
あまりにもどっちだっていい事(笑)


以前みたいにやりたきゃやれば良いし
気が乗らなければやらないで良い

不思議なもので
肋骨骨折して、引きこもりに1週間過ごし
英気を養うと、勝手に体が欲する動きを
始めるんですね

寝たきりで背面ガチガチだから、
ストレッチをあれこれやってたり
呼吸が深く出来なくて横隔膜の動きが
制限されている分、リハビリ的な動きを
自然とやってたり
もう大丈夫だって頃からは、
しばらくご無沙汰だったスクワットしてたり
我ながら素晴らしい

タイミングも自分で分かる
回数とか強度だって、自分で分かる
体が欲している動きも自分で分かる
やめ時も分かる
静かに深く意識を向けてもらう事で
ウネウネと体が自己調整してくれる
(活元運動??)

2、3日で体スッキリ快適状態

私、色々知ってるんだー!
もしかして天才やーん!!
今まで習慣でやってる時は
同じ事やってたけど
それが当たり前過ぎて分からなかった
しかも、私が特別なわけでも無く
みんな持ってる才能
私は普通で大丈夫。天才だから(笑)

それどころか
私は欠落してて、不足だらけだから
ヨガを教えてる時も
もっと良いクラスにしなきゃとか
○○って思ってもらいたいとか
ヨガ指導者はもっと凄いポーズ出来る方が
良いはずとか
自分を欠落、不足人間として
追い詰める考えに無意識的に
向いてた様な感じがした
優等生的な、劣等感の塊

どっちも私やけどね
選ぶなら、普通な天才を選ぶ

この天才的才能には
気がついてる様で気がついて無かった(笑)

習慣として行ってた数年も
なんか面倒で罪悪感にかられつつ
習慣でやらない一年も
天才って思われたくて頑張ってた私も
そんな自分を恥ずかしいと思う自分も
欠落だらけで死んでしまいたいと
思ってしまう私も
だからどうにかしたいと焦る自分も
全部オッケーだったってオチ。
理屈じゃなくて、
なんかそう知ってるらしい私。
なんかそう知ってる事から目を逸らしてた
らしい。

今までごめんね、もう大丈夫!私。
私にとって、普通で当たり前で良いんやね
やっぱ簡単で難しいけど。



結局何があっても
オチは、全部オッケー。

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