「自分を知る」の苦しみの根源は「私の崩壊」
自分を知るという
文字にするとあまりにシンプルで
自分という存在の認識のある人なら
2歳位から死ぬまで
当たり前に知ってるつもりの事で
もがき苦しむ一年
クソッタレなゲスで見たくも認めたくない
闇の世界に潜む自分を100パーセント
認め、自覚していく苦しみは
自分や、社会や環境、肉親すらも
否定したくなる錯覚からの苦しさは
当然あるけど
意識的に自覚できるそういった苦しみ
より深い部分で起こってる、苦しみの根本
それが今の私で自覚するものは
「アイデンティティ(自我)の崩壊への恐怖」
と、
「理想や目指す何かが全部崩壊する恐怖」
自分が無くなる様に錯覚するとも
今までの自分の全てを否定する様な
間違ってた様に錯覚する「虚しさ」
ある意味、死に近い様な恐怖。
「私」が死ぬ様な錯覚
このアイデンティティを崩壊する
とてつもない無意識の恐怖を乗り越える
のにお役立ちだったのが、
心の仕組みや脳の仕組みを知る感覚だった
恐怖を感じてしまうのは
当たり前だし、それが必要な機能で
その事実を知らない様に、見ない様に
通常設定されてるのが生きていくのに当然
だって理屈が分かる事で
ただただ、ホッとした
全部無意識で行なってるんだけど(笑)
でも
今までの自分を全部否定する様な
全てが無駄だった様な虚無感も
何も無くなるんじゃないかという
恐怖も
結局脳みその作り出す妄想でしかなく
勝手に作り出すアイデンティティとか
思い込みや理想がゼロに近づいてくと
何か残るというと
素直な私
私にとって、当たり前なシンプルな私
まだまだクリアしてない事が多く
ようやくこれからって所だけど
もうここまで来たら別に大丈夫
ほんと、大丈夫だ
クリアしてるとかしてないなんて
後は流れに乗ってれば大丈夫
それだけだとしか思えない